本テキストは『新版―論文の教室』(戸田山 和久著、NHKBooks、2012年8月第1刷発行、ISBN:978-4-14-091194-5)より著者の許可を得て作成しています。PDFで背景が黄色の箇所は出典箇所の参照目的であり、検証対象外です。
……豪快さんか、いいねえ。先生でござい、論文は考える力をつけるために書くのであ~る、なんて偉そうにしていても、実際に指導することは、「キミねえ、そこはコロン(:)じゃなくって、セミコロン(;)でしょ」てな具合だから。ああっ!! セコイなあ。恥ずかしいなあ。……というわけで、豪快さんのように論文指導ができたらいいなあ、と思う今日このごろ。
(ⅲ) 君の大学にお目当ての本がなかった場合、他の大学の図書館から取り寄せてもらうこともできる。どこの大学図書館にどんな本があるかを知るには、国立情報学研究所が作ってくれているCiNii Books (http://ci.nii.ac.jp/books/)のデータベースで一発検索OK。
いよいよ本体だ。これは英語では“body”と言われる。本体はつぎの三つの要素からできている。
(2–1) 問題提起と問題の分析・定式化
(2–2) 主張(問題に対する考え、「結論」とも呼ばれる)
(2–3) 論証
順に解説しよう。(90p)
――そうね。じゃ、(イ)はどうだったかを考えてみよう。さっきの(カ)と同じように、(イ)の形式を取り出すと図6のようになる。この形式を(イ*)と呼ぶことにするね。
――うーん。さっきの(カ*)と似てますね。ビミョーな違いです。
――でもさっきのとは大違い。これには反例がない。
――ということは、仮に「AならばBである」と「Aである」が両方とも一〇〇%正しかったら、かならず「Bである」も一〇〇%正しいってことになりますね。
論理学では、正式には図11が背理法だが、図12のような形式も背理法と呼ばれることがある。ここでは二つを区別しないで扱おう。
――出た。背理法って中学で教わったんですけど、何だかうまくごまかされたような気がして、イマイチわからなかったんすよね。だいたい「矛盾が生じた」ってどういうことなんですか。
――「矛盾が出た」ってのには、だいたい次の三つのパターンがあるね。
① 最初に仮定したこと(Aではない/Aである)に反する命題(Aである/Aではない)が出てきてしまった。
(162p)
――こっちの論証は、モードゥス・トレンスの形をしているから、妥当な演繹的論証だ。つまり、これまでAというデータを同程度に説明してくれていた仮設Hと対立仮説H′の両方があったのだけど、Hからの新しい予言Bは当たり、H′からの新しい予言Cははずれたために、対立仮説のH′が競争から脱落する。
aとbはたんに似ていればよいというものではない。両者が似ているとされるポイントが、cに関連性をもっていなければならない。イクラとウニ卵は似ている。どちらも高価なすしネタだ。北海道でよく採れる。コレステロールたっぷりで、痛風にもよくない。だからといって、イクラからは鮭が生まれるから、ウニ卵からも鮭が生まれるはずだとは言えない。両者が似ているとされたポイントと、その卵から何が生まれてくるか(c)ということの間に関連性がないからだ。
――まあ、このくらいのことを頭に入れておけば、もっといい論証ができるようになるよ。ちょっとやってみない? キミが作ったアウトライン(142~143ページ)のⅢによれば、シンガーの説に賛成して、動物に権利を認めるべきだって論じたいわけだよね。で、シンガーの本は読んだの?
第二パラグラフをさらに詳しく見てみよう。
(ⅰ) このようにして、直接民主制が絶対的に正しい決定のあり方だと思われると、世論調査が政治の動向や政治的決定を左右する最も大きな要因になってくる。→トピック・センテンス
(ⅱ) これは、原子力発電所の誘致やダム開発、その他の公共事業の継続をめぐる近年の政策決定の過程を見れば明らかだろう。→(ⅰ)を支持する具体例
(ⅲ) 政治家や官僚など公的な立場にいる者の施策が、じかに世論に左右される事態が生じている。→「公的な立場にいる者の施策が、じかに世論に左右される」ということは、よく考えると、「世論調査が政治の動向を左右する最も大きな要因になった」ということと同じではないか。ということはつまり、(ⅲ)は(ⅰ)を言い換えて強調したもの。
(ⅳ) いったいどうしてこのようなことになるのだろうか。→次のパラグラフへのつなぎ
【142~143ページ、アウトライン・バージョン2のⅢを膨らませた文アウトライン】
動物も平等に扱われる権利をもつというシンガーの議論を紹介する。
(1) 平等の原理=「他の人の利害をどう配慮するかは、その人がどのような人であるかとか、どんな能力をもっているかに左右されてはならない」
○物体X(the thing)
(a)も(b)も、線が最も多く重なっているところは三本までだけれど、(b)の方は(a)にくらべてずっと一本一本の線が長く、重なっている部分もそれだけ長くなっている。だから、(a)の方が曖昧さは解消されている。
(2) 後注と脚注
論文でよく見かける方法は、本文の後に注をまとめて記載する「後注」と、本文各ページの下部に記載する「脚注」がある。たいていのワープロソフトには「脚注/後注」という機能が付いていて、このどちらかを選んで注を自動的にレイアウトしてくれるようになっている。多くの場合、
科学実在論は独立性テーゼと知識テーゼという二つのテーゼをともに主張する立場だ(23)。科学実在論論争は形而上学的な問題に尽きるものではないことがわかる。
のように、本文中に肩数字を付けておいて、その個所に対応する注をページ下部か本文の後ろに、
(23) 科学実在論のこの定式化は(Papineau 1996, p. 2)による。科学実在論論争にかかわる文献はすでに莫大な量になっている。(Papineau 1996)の文献案内、(Kukla 1998)、(Psillos 1999)などがよいサーヴェイを与えている。
のように同じ番号を頭につけて記載する。ワープロソフトの脚注機能は、この番号の対応を自動的にやってくれる。注23の前に、もう一つ注を追加すると、それが注23になって、これまでの注23はいつの間にか注24になっている。はじめてこの機能を使ったとき、なんて便利なんだと感激したものだ。
谷崎ゆかり(1998)「英語教育理論の変遷」、『西船橋外国語大学紀要』、第10巻60号、pp. 123-56
Burns, M (1999),“How to Subsidize Anti-nuclear Activists”, Journal of Nuclear Plant Management, vol. 15, No. 3, pp. 156-201
論文タイトルは「 」、雑誌名は『 』でくくる。外国語の場合、論文タイトルは“ ”でくくり、雑誌名はイタリック体かアンダーライン。以上は雑誌論文の場合も同じ。違いは、雑誌名の後ろに巻・号を入れることぐらい。もちろん、最後に収録ページを書くのも忘れないように。
フォントは明朝体(この本の本文は明朝体で印刷されている)だけ。ポイントは10.5か12ポイントが標準的。よく、見出しをゴチック体にしたり、勘亭流にしたり、いろんな字体を論文に混在させる人がいるが、あれは見にくくなるばっかりで、思ったほど効果は上がらない。気持ちはわかる。いろんな字体がインストールしてあると使ってみたくなるもんねえ。でも論文のときはぐっと禁欲。表題だけポイントを上げてもいいけれど、本文は明朝体12ポイントで統一してください。お願い。
あー。ホントにもう鬱陶しいなあと思っているでしょ。もう少しの辛抱だからガマンガマン。横書きの文章の場合、数字や年号はすべて半角の算用数字というのが基本だ。「125億1560万人」、「1989年」。全角数字を使って「1995年」と書くのはやめてくれということ。
例外は、熟語や固有名詞の一部になっている場合だ。「50歩100歩」「99里浜」「何1000人」と書いたらユニークすぎる。
悩ましいのは「1つ」「2つ」「第1に」……とするか、「一つ」「二つ」「第一に」……とするかという選択だ。私のこれまでの経験では、出版社の校正係の人には、どちらに直す人もいる。大事なのは統一がとれていることと、算用数字を使って「1つ」と書く場合は、半角ではなく全角を使うということだ。
外国語も半角が決まりである。つまり、「デコンストラクション(deconstruction)」と書くのであって、「デコンストラクション(deconstruction)」はやめてね。
!(感嘆符)、—(ダッシュ)のようなメジャーなものから、〜(ティルド)、†(ダガー)ようなマイナーなものまで、たくさんの記号がある。山内さんの『ぎりぎり合格への論文マニュアル』では実にマニアックにこうした記号が紹介されている。記号フェチの人にはそちらを見てもらうことにして、ここで主張しておきたいことは、
後藤政志「2011大震災:福島原発事故 格納容器の機能喪失の意味――スロッシングの検証なしに運転してはならない」『科学』八一巻一二号、pp. 1246-51、二〇一一年一二月